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更新日 2016-06-28 | 作成日 2007-11-05

選手強化の歩み

少年の部

平成8年4月、県内各高校の新入生を迎えると同時にゆめ国体に向けての強化が始まった。県下レスリング部を持つ高校、全体で25名の新入部員しかいなかったが、ちびっ子レスリング経験者など、将来を期待できる選手がそろった。 平成8年の夏休みより、その年の国体メンバーと京都・岐阜・静岡などの遠征に同行させ、数多くの練習試合などの経験を積ませていった。その都度、地元国体での活躍をイメージさせ、良いところを引き出せるような意識改革をしていった。img001.jpg拓大・西口コーチを招いてのグレコ指導また、冬休みより拓殖大学の西口コーチと学生数名を機会あるごとに招いて、グレコローマンスタイルを主とした練習会を行った。その甲斐あって、3月の全国選抜大会には1年生ながら3名が出場し、平成9年のインタハイには、8階級中5階級で2年生が出場するなど、強化の成果が少しづつ見えてきた。平成9年には春の各県予選より国体のメンバーを想定し、夏休みには各階級2名の強化指定選手を選出した。 8月は、インタハイ・全国グレコ・国体予選と大会が続く中、その合間を見ての強化練習会を行い、9月入ってからは長野・静岡に遠征し、大阪国体に向けての調整をした。大阪国体では、3位2名、5位3名とかながわ・ゆめ国体を控え、チームとしては今ひとつであったが、入賞した5名が全員2年生であったため、翌年への良いステップなった。 しかし、大阪国体終了後、問題が起こった。ルール改正による階級の変更である。平成10年より新階級になることで、今まで強化し、想定していたメンバーが重なってしまったことである。したがって、再度、指定選手を決めなければならなくなった。img003.jpg岐阜県への遠征Scan3.JPG京都遠征(南京都高)11月の新人戦を第一次選考会とし8階級中16名を選出した。このメンバーを中心とし、ここから本格的な強化が始まった。暮れには合同合宿を行い、2月から3月にかけて再び拓殖大学の西口コーチを招き強化を図った。春の全国選抜大会で、76kg級の本多尚基選手が2位、60kg級で村崎選手が3位、115kg級で栗原選手がベスト8という成績を収め、この調子で行けば優勝も夢ではないという手応えを感じた。しかし、8月インタハイ。全国グレコ選手権では、予想を下回る結果で、協会内に「これで大丈夫なのか?」という声も挙がった。8月下旬、全国大会の結果を基に代表選手を決定した。残り2ヶ月間は拓殖大学を中心に、霞ヶ浦高校、国士舘大学、Scan5.JPG長野遠征Scan6.JPG富山遠征自衛隊体育学校等、毎週土日を使い最終の強化と調整を行った。不安材料はあるものの、日を追うごとに選手達に代表としての自覚が見え始め、最終の自衛隊体育学校の合宿では、優勝を目指したチームに仕上がった。

・・・・・・・・・・少年の部監督:野辺洋和(向上高校教)

成年の部

成年男子の選手強化は、これまで大学生を中心としていたが、社会人を中心とすることとした。しかし、昨今の社会情勢等々、 優秀な選手の獲得もままならぬ状況のなかで、しかも、「地元出身であり、尚かつ地元に末永く在住するものに限る」を大前提とした。大変厳しい条件で対象となる選手をリストアップし、県協会主催の練習会等への参加を呼びかけ、参加した者の中から候補の選抜を行ってきた。このような中、本県にグレコロ-マンスタイル69kg級アトランタオリンピック代表選手で本県出身の三宅選手が帰ってきた。このとき三宅選手を柱とした、5年計画を立てた。この計画の中で、毎年の国体に向けた強化を充実し、積み上げることで、かながわ・ゆめ国体へ向けた強化を推進することとした。第48回大会(東四国国体)では、フリ-スタイル68kg級の吉本収選手が加わった。この結果、この2人を柱として2階級で優勝することができた。この頃から、2人を中心に土・日に県立六ツ川高校を中心会場とした、県内での定期的な練習会が自主的に行われるようになった。第49回大会(愛知国体)では、グレコロ-マンスタイル85kg級の太田浩史選手が本県チ-ムに加わった。この大会で、県協会史上初の総合成績8位に入賞することができた。三宅選手などの社会人の選手には、出身大学や強豪選手の集まる強化合宿、強化練習に積極的に参加させ強化を行った。第50回大会(福島国体)では、新たに3名の優秀な選手が加わり、49回を上回る総合5位の成績を獲得することができた。順風満帆に進んできた計画であったが、ここにきて大きな暗礁に乗り上げることになった。学生にとっては、就職活動のままならぬ中、選手活動を続けることが困難となり、就職先を求めて県外に流出する者が続出してしまったのである。3年後に迫ったかながわ・ゆめ国体に、一抹の不安を感じた。しかし、社会人になってからもレスリング競技を継続し、まだまだ伸び盛りの自分を高めていくという選手の夢を強力にバックアップしてくれる(株)特別警備保障の理解もあり、大学を卒業したばかりの熊田良一選手、坂下昇選手、佐藤幸太郎選手が新たに加わったことで、この心配事も払拭された。img010.jpg広島国体では総合7位入賞この布陣を持って、第51回大会(広島国体)ではかながわ・ゆめ国体開催2年前となり、各県のマークが厳しくなる中、総合7位に入賞した。このころから、強化合宿、強化練習のほかに、世界選手権の国内予選会等国内トップレベルの大会へ積極的に参加するよう選手を支援した。第52回大会(大阪国体)では、総合12位と順位を下げ、またもや不安を抱えるが、最後の1名に、グレコローマンスタイル54kg級、元全日本チャンピオンの木村浩二選手が加わり、万全の布陣となって、かながわ・ゆめ国体本番を迎えることとなった。万全の布陣を敷いたとはいえ、笹本選手以外は全て社会人であり、仕事の合間をぬっての練習時間の確保が、如何に大変であるか、技術・体力の維持そして減量が如何に壮絶な試練をもたらすか、想像を絶する感があったことは確かである。全員決勝進出を目標にしたメニューは、勤務日以外は自衛隊体育学校、国士舘大学、日本体育大学等々、年間60日を越える強化遠征をこなした選手達のレスリングに対するひたむきな情熱に感動した次第である。こんないくつかの困難を乗り越えての総合優勝は表彰式での胴上げが象徴するように、格別のものであった。

・・・・・・・・・・成年の部総監督:枝迫興一郎(県立六ツ川高校教)